轍(わだち) 私の教育論2 教師の独自性による教材の噛み砕きとしかけ

 教師は、教師優先の立場で学習内容を定着させる指導力を持っておくことは当然なことです。この指導法は、教師からの一方的な授業になりがちです。子どもが意欲的に授業に取り組むためには、子どもの立場に立ち、子どもの情意的な反応に敏感に気づくことができ、それに共感的に応答することができ、その上で子どもの情態に応ずるかたちで、教師の独自性による教材の噛み砕きとしかけができる教師の力量が大切です。噛み砕きを説明するためにチューインガムを教材に例えるならば、チューインガムをしっかりと噛み、チューンガムの味をしっかりと教師が出し切り教材を提示するといったと例えるとどうでしょうか。これは、まさしく教師の力量の高さでもあります。学習指導では子どもの学習意欲を喚起さすためにも、この力量を重視したいところです。しかしながら、教材の学習内容にこだわり、強引に理解させようとして一方的に指導することが多いことも事実です。思考を要する学習内容においては、子どもの思考過程を重視しながら授業をしかけていくことが大切です。矛盾するようですが、算数の九九の習得においては、強引に条件反射的に子どもが確実に習得しきるようになるまでの指導も大切です。繰り返し・巻き返し練習することで、情意的に安定したところまで学習がなされた捉えることが出来ます。これも、九九という教材を子どもの実態に応じて教師が噛み砕きしかけていくことが大切です。子どもの活用力を向上させるためにも子どもの情意的な反応を重視していくことは、教師の指導力向上に直結していきます。指導と評価の一体化が言われ出して久しいですが、子どもが「出来た・分かった」という情意的な反応に対して教師も「そうだ。」と共感できるところに指導と評価の一体化がなされた状態として捉えることができます。教師が子どもと共有する共感能力を持っておくことが大切です。それは、教材を教師が独自に噛み砕きしかけていくところから教師の共感能力も高まってきます。

子どもの情意的反応に気づき、共感・応答し、教材を噛み砕き
しかける教師の力量を磨く

 授業は、教育原理でもかつてから言われるように子どもと教材と教師の交互作用で成立します。いくら、IT化が進もうが、指導者である教師には、教材のかみくだきとしかけと同時に教材に対して子どもがどの程度のレディネスをもっているかの理解・推測が大切になってきます。教師にとって、教材研究・解釈をしておくことは、職業人として当然のことです。通常の授業においても、教師は子どもの反応を予測・推測しながら展開しています。だから、授業においてどのようなしかけをしていくかが、教師の悩みでもあり楽しみでもあります。ここに、人間として教師としての姿があります。このような生き方をしている教師に子どもたちは敏感に気づき、反応をします。子どもの情意的反応に気づき、子どもの深い学習の成立をめざす教師は、理念ではなく実践的に教育愛に満ちた教師へと成長します。

Posted by kudamatsu_tt