轍(わだち) 私の教育論 1知性と感性のバランスのとれた子
教育基本法第1条に「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身とも健康な国民の育成を期して行われなければならない。」と教育の目的を述べています。初等教育段階で人格の完成を目指す教育を進めていくためには、発達段階を考慮しながら知性・感性に偏り過ぎない教育を推進することが大切です。通常、人格は心理学的に知情意で捉えます。知情意の知は、知的機能と捉え、情意は、情を感情で意を意志で総じて情意的機能と言われます。知性・感性を敢えて分類するならば、知性は知的機能で感性は情意的機能を駆使して育成されます。人格の完成を目指していく教育は、子どもが一時間一時間の授業を知的機能と情意的機能を駆使して自分にとって深い学習を積み重ねることを通してなされると捉えています。それを繰り返し継続することによって、知性と感性のバランスのとれた子どもの育成に向かっていくと考えます。それは、全教育活動を視野に入れ、教育理念に基づく地道で継続的な教育活動の推進が必須条件となってきます。

ここで、知性と感性について基本的な考え方を述べます。知性と感性のバランスのとれた子どもは、全教育活動を通して地道な教育実践を積み重ねることによって可能となってきます。知性とは、確かな学力を培うために必要不可欠な言語的・数理的・科学的な思考力をさしています。論理的・分析的な思考力と言えます。一方、感性とは、五感(視覚・聴覚・味覚・触覚・嗅覚)の感覚器官を通して生じる事物に対する感受性、あいまいな情報に対する直観的な能力の総称として捉えます。それは、肯定的な感情を伴っており、直観力、イメージ力、ハッと驚く心、人や自然への思いやり・優しい心、チャレンジする心、集中力、粘り強さを総称したものです。直感力は、思考過程における論理的で分析的な説明は出来なくとも物事の本質・結論に一気にたどりつく能力と言えます。そこには当然、感動や感情という非言語的で心と体で感じる様態が生じます。
知性:言語的・数理的・科学的な思考力感性:直観力、イメージ力、ハッと驚く心、人や自然への思いやり・優しい 心、チャレンジする心、集中力 、粘り強さ * 体力は知性と感性を支えます |
諸々の教育活動の中で「これは知性だ。これは感性だ。」と厳密に分けることは出来ません。知性と感性は相互補完的な関係にあります。それでも敢えて分類するならば、知性を重視した教育活動は、国語、算数、理科、社会の論理的、数理的、科学的、情報収集処理など知識・技能・思考力等の学習領域を取り上げることができます。現行の学習指導要領で目指している習得活用を通してのコミュニケーション能力の育成は、知性を重視していえるでしょう。一方、感性を重視した教育活動は、イメージや直観を駆使して発揮される活動をあげることができます。具体的には、物語文の読み取り、俳句などの創作、音楽図工などの芸術的表現等をあげることができます。心豊かな児童の育成は、感性を抜きにして語ることは出来ません。体育における運動能力・体力の育成は、知性と感性を支えます。どの分野の授業でも、知的機能と情意的機能の両者を伴って学習をしているので厳密に分けることができません。算数の思考力を伴う論理的分析的な知的機能を伴う問題に取り組んでいる姿の中にも背後で情意的機能を駆使して、集中し粘り強く取り組んでいる姿があります。学力論を論ずる時、知性、感性のどちらかに偏り固定すると不自然さを生起させるよになります。知性と感性のバランスを念頭におきながら、ある時は知性重視で、ある時は感性重視で教育実践を積み重ねることが大切になってきます。一つだけに固定してしまうと無駄な心的エネルギーを使うようになります。ゲシュタルト心理学で言われる図ー地反転の発想で捉えることで人格の完成をめざす教育の方向に舵を取ることが出来ます。指導者には、両者を使い分けていく豊かな知性と感性それを支える体力が求められます。
知性と感性のバランスのとれた子どもの考え方

(夏目漱石の草枕)より
「智に働けば角がたつ。情に棹されば流される。意地を通せば窮屈だ。とかく人の世は住みにくい。」