轍(わだち) エピソード 3 下宿でたたき起こされた

 大学3年生の秋にこんなことがありました。先生の指導のもと合流教育の学術英語論文を翻訳することになりました。「Gestalt as learnning theory」(学習理論としてのゲシュタルト)という論文です。英語力のない私がどうして英語論文を翻訳することになったのか分かりませんが、きっと私を育て、鍛えようとする先生の仕掛けがあったと思います。私は、日頃から口だけ達者で勉強もろくにしないで自分なりの教育理念が欲しいと一人前のことをゼミでよく言ってました。おそらく、先生は、私の教育的な考え方と人間としての在り方を育てようとされていたと想像します。そこには、私という人間を見据えながら先生の人間愛があったように思います。

 さて、論文を翻訳するに当たって、
「中学生レベルの構文だから簡単だ。毎日、一行でいいから翻訳して、私のところへ持って来なさい。一緒に添削をしながら進めていきましょう。」
と先生からの指示がありました。
 中学生レベルと言っても単語は難しいし、専門の論文だけで一歩退いてしまうものです。日本語に翻訳された他の専門書の読解もままならぬ私でした。まして、アメリカの学者さんが書いた専門英語ですからハードルは非常に高いものと感じていました。しかしながら、「毎日一行とは。」どう考えても大学生レベルでの課題提示とはとても思えません。翻訳は、ルーズリーフノートに書きました。そして、私が訳した一文を先生に訂正して頂く日々が始まりました。いつも、最初にどのように訳したかを先生に説明します。そして、私が行った一行の翻訳も間違いも含めて、青ペンで添削をされることが常でした。たった一行の翻訳でも、私は論文の意味を理解するまではとても至らず機械的に行っていました。と言うのも、「ゲシュタルト心理学」がどのようなものか知らなかったので当然といえば当然のことです。

 毎日、たったの一行の翻訳。時間にしてほんの数分。最初の内は、英語論文を訳しているという浅はかな満足感がありました。しかし、毎日一行を続けることは結構つらいものです。継続をすることは、簡単なことではありません。先生のもとでの翻訳が2週間ほど続いたでしょうか。A4版8枚ある論文の1枚目を終えた段階で、一向に私の翻訳のスピードが上がりません。私は、いつも1行を翻訳して先生の指導をあおいでいました。自分なりの一行翻訳を終えると「やった。やった。」と喜んでいました。まるで、クラスで出来の悪い子どもが宿題をし終えて喜んでいる様子に似ています。そして、ギターを手に取ったりしていました。

 2週間もすると、
「このような、哲学的なゲシュタルトの内容はおもしろくない。やれ、図がどうだの。地がこうだの。部分を全体へ統合する過程の図ー地反転。どうでもいいや。」
と心の中で思うようになりました。そして、ついに一行翻訳を先生のところへ持って行かない日が私にやってきました。そして、二、三日経ちました。

 確か、11月の朝6時前でした。私の下宿の戸がガラッと開きました。下宿といっても、山口の田舎の田園にある長屋で10人の学生が共同でお世話になっていた下宿です。かつては、今ほど個人のプライバシーが守られているわけではありません。当然トイレやお風呂も共同で使います。隣りの音も筒抜けで聞こえる部屋です。私は、先生が来られた時、蒲団の中で寝ていました。
「ガラァー。」
大きな音に目覚めました。戸の方を見ると先生がおられるではないですか。その場面は、写真のように今でも覚えています。やや強ばった顔をされておられました。先生が学生である私の下宿に来られ予期せぬことにびっくりしました。でも、どうして先生は私の下宿先を知っておられたのでしょう。私は、「ドキッ。」として右往左往の状態です。緊張が走り、顔が熱くなったことを今でも忘れません。

「宮村君、英語の翻訳をしているかね。」

 私は、ここ2・3日、先生の所に翻訳文を持って行ってない後ろめたい心でいたのです。大きく動揺をしました。これが、また、優しい声で話されたので余計に心に堪えます。オロオロしながら、翻訳文を書いていたルーズリーフノートと英語の論文を出して先生に翻訳を説明しました。私の説明の声がうわずっていたと記憶しています。幸運にも、翻訳をしていたこととA4の論文半分ほど訳していました。この時は、1行だけでなくA4半枚分ほど説明をしました。先生は、いつものように添削をされました。私の大きな心のパニックとはよそ事のように、下宿では何もなかったように同じ静かな朝でした。他の部屋で寝ている学生達には聞こえない程の先生と私の小さな声で翻訳は進みました。
 
 そして、この日を境にして、一日一行翻訳は終わり、A4半枚程度の翻訳にペースが上がりました。全部を翻訳するのも数日で一気に終わりました。論文の内容を理解していない状態での翻訳終了でした。もし、先生が下宿に来られた時、翻訳をしていなかったらどうなっていたのでしょう。
 
 次に、先生からまた課題が出ます。それは、全文翻訳を、もっと分かりやすく日本文でコンパクトにまとめる課題です。哲学的で難しい内容のエキスを引き出し、出来るだけ分かりやすくまとめる作業に取り掛かかることになります。論文のタイトルのごとく、「Gestalt as learnning theory」(学習理論としてのゲシュタルト)を学問的にコンパクトにまとめるには本当に内容を理解していないと自分の言葉でまとめることが出来ません。何度も何度も翻訳文を読み返し実感として理解出来るまで読み返しました。シンプルに図示しないと私の頭では、とても理解できないと勝手に思いました。内容についてはは、グシュタルト学習理論の原理として、いずれゲシュタルトの形成と統合を中軸とした形で別コーナー私の教育論で紹介をいたします。 
 
 先生から手取、足取りの指導をして頂き「全体を観て、部分を観る」そして「部分を観て、全体を観る」態度を学びました。心理学・教育学の学問が楽しくなっていったのもこの頃からです。私の人生観もだんだん方向づけがされました。それは、以後の私の人生において、人間愛をベースにした物の見方となっていきます。
 
 下宿でたたき起こされたことは、先生との出会いも含めて私の人生のターニングポイントであったことは間違いありません。

Posted by kudamatsu_tt