轍(わだち) エピソード 2 サル社会と人間社会
河津先生の研究室は、学生が自由に出入りしやすいように開けてありました。学生にしっかりと勉強をしてもらいたい願いがあったのだと思います。大学三年生の時、私は、河津先生の研究室へはよく出入りをする学生に変わっていました。合流教育の基礎理論として支えていたA.H.Maslow(アブラハム マスロー)の自己実現論に興味をもっていた時期でした。先生からいろいろな助言を頂き学問へのめり込んでいった時期でもありました。
偶然にも研究室で、河津先生と二人になりました。名前は忘れましたが、急に河津先生が京都大学の霊長人類学のサル学者のことを話され出されました。話された内容の大筋は次のとおりです。
「京都大学のサル学者が京都の山でサルの餌付けを通してサル集団の研究をしていました。サル集団は、餌を貰うためサル学者に寄って来ます。決まり決まったように大多数のサル達が真っ先にサル学者に近づき餌を貰うことが常でした。サル集団はサル学者に寄り添いとてもなついていました。それは、サル学者が山に行くといつも繰り返されてきたことです。誰もが知っているように、サル集団には力関係があります。ボス格のサルを中心に、時には集団の中での地位をめぐって争いがあります。強いサルを中心に序列が形成されて成り立っています。周辺部には、孤立ぎみの小さめのサルが一匹いました。この小さめのサルは大多数のサルとは異なり、周辺部のサルとしてサル学者から餌付けをされた一匹です。
数年経ち、今度は愛知県の山に入ってサル集団について研究していた時のことです。偶然にも数年前に京都で研究していたサル集団に出会いました。集団は、京都から愛知県の山へ移動していたのです。サル集団は、サル学者にすぐに気づきました。京都では、サル学者に寄り添いなついていたのに、愛知県では全く異なったサル集団となっていました。過去に可愛がってもらったこと忘れ、サル学者を無視したそうです。そんな中、一匹の当時小さめのサルが寄り添うように近づいてきました。孤立ぎみであった小さなサルは、かつてお世話になったサル学者のことを忘れていませんでした。」
サル学者の体験談を話された後、河津先生は、サル社会と人間社会は似ていると話されました。
『自分にとって力のある人や利益になると思った人には、おだて寄り添ってくるものだが、一端、自分とは関係ない立場や力がないと思えば寄りつきもせず、かつて受けた恩は忘れてしまう。クールになってしまう。サル集団にとって、サル学者が何の得にもならないと思えば振り向きもしない。しかし、小さめで孤立ぎみのサルは、かつて受けた恩を忘れないでいる。人間社会は、大多数のサル集団に似た人達もいれば、小さめのサルのように本当に愛情深い心の人達も多くいる。』
そして、
『小さめのサルのような心をいつまでも持っておきたいね。』
と河津先生は話されました。
小さめのサルはどのようにして優しい心を形成したのだろうか?サル集団の話は、いつまでも私の心の中に残っています。河津先生より、傲ることなく人間として守るべき大切な情や愛について考えるテーマを頂きました。この教えは、今もって私の中に息づいています。