轍(わだち) 河津先生の教育論 1 合流教育
合流教育は、1960年代アメリカ西海岸のカルフォニア大学のジョージ アイザック ブラウン氏によって提唱されました。その起こりは、当時アメリカ社会で問題となっていた高校における中途退学者、生徒によるマイファナ常習者、おきざりにされた生徒をどのように学校に適応させ救うかというところに起因しています。全人格の成長・発達を目標としたときの教育に対する不満は、子ども・生徒の基本的欲求すなわち感情的側面が無視されていたことにあると言われました。そこで、学習の非知的な側面、すなわち、感情・感覚・興味・関心・態度・価値・性格等を重視し、学習者の学習意欲を高め、教育効果を高めようとする取組が行われました。子ども・生徒の非知的な側面を掘り起こすため、モダンダンス、体育、音楽、美術、芸術的なアート ヨガ 瞑想、カウンセリング、心理療法等感情に働きかけるものすべてを総合的に感情技法として教育課程、授業の中に導入しようとする研究がなされてきました。感情的技法の開発・研究が進められていく過程で合流教育の中心となっていった技法は、現在でも心理療法として残っているゲシュタルト セラピィーです。感情的側面と認知的な側面と結びつけていこうとして合流教育が体系化されてきました。合流教育の日本で最初の紹介図書は、翻訳された金子孫一著「人間性を培う教育」です。また、山口県山口大学附属光中学校で日本で最初の合流教育の実践的研究が行われました。その研究の成果は、「認知と情意の統合学習」(明治図書)で発行されました。その当時、山口大学附属光中学校の研究顧問をされていた先生が、当時山口大学教育学部助教授の故河津雄介先生です。合流教育の実践は、当時の日本では時代の要請がなく一部の先生方で行われていました。
ここで、合流教育について基本的な理念を紹介いたします。合流教育とは、知(認知)的側面と情意(感情)的な側面が相互に刺激し合って学習していくことを推し進めていく教育です。
合流教育の合流についての定義は上述した通りですが、あまりにも漠然としているので比喩を使いながら紹介をします。合流については二つの比喩を用いて説明をします。
一つめは、川に例えて説明をされます。知的な一つの支流と情意的な一つの支流が合流をして本流を形成していく場合です。その場合、それぞれのの支流は隣り合って流れていますが、次に混じりあって、最終的には合流、統合され一つの新しい本流になっていく例えの考え方です。合流教育では、知的な学習内容を習得させるために感情技法を使って情意的な側面をも刺激させながら授業が展開されていきます。人間の感情をも大きく視点をあげているところに合流教育の特徴があります。しかしながら、感情技法を知らなくても指導力のある優秀な教師は、子どもの知的・情意的な側面を刺激させながら授業を展開しています。指導力の低い教師は、教材だけを教えることに終始して子どもの情意的な側面まで目が向きません。学校における一時間の授業は、感情技法を使わなくても、子どもたちは知的な側面と情意的な側面を駆使して学習をしています。そのためには、子どもの内的な心の様相まで感じとれる教師の共感力が必要であることは言うまでもありません。
もう一つは、知的な要素と情意的な要素がそれぞれ混合するというよりは、むしろ独自な姿を保ちながら、さらに高次な認知体制を形成していく考え方です。これは、川の流れと川岸を例として比喩することができます。川岸と川の流れが合わさって一つの全体としての川として考えた時、川岸を知的機能、川の流れを情意的機能として捉える考え方です。川岸と川の流れがバランスよくとれている時は、人格は安定しており無駄なエネルギーを費やすことはなく学習を進めます。しかし、川の水量が増して川岸を溢れる状態や逆に水がカラカラになった状態では、全体のバランスがとれない状態での学習になります。現実レベルで考えると感情がコントロール出来ず不安定な状態や生気のない無表情な状態になっていきます。知的機能と情意的機能がそれぞれ独立してバランスを取り合ってることの大切さを合流教育が教えてくれてます。私は一つ一つの学習過程における知的・情意的な活動と捉えるのではなく、大きく人格的スタイルとして捉え知性と感性のバランスのとれた状態と考えています。前述の二つの例えを図示すると下図のようになります。

山口大学附属光中学校での教育実践の後、多くの教師が合流教育の教育実践を積み重ねてきました。私も、感情技法を駆使しながら何度も教育実践を行いました。しかし、教育実践をしながら薄々は気づいていましたが、教育には特効薬はない。学習内容となる教材への深い理解は、今、目の前にいる子どもの理解なくしては、子どもの認知と情意の合流を促す教育実践はできない。教師自身に基礎基本を踏まえて応用力のある柔らかい頭がないと合流教育は、表面的な実践になってしまう。ファンタシー、ロールプレー等感情技法を使ったところ、子ども・生徒に深い学習を保障することが出来ないことが分かってきました。
私が教師になる前、アメリカのカルフォニア大学へ1年間留学された河津雄介先生は現地アメリカではやばやと見抜かれていました。それは、アメリカから山口大学心理学研究室へ現場と大学を結ぶ研究会へ送って頂いた寄稿から伺うことができます。
「合流教育は、社会運動としては貢献するものがある。しかしながら、実践的にはまだまだである。ちょうど、仏壇は作ったけど魂を入れ忘れた。」と例えられました。理念的には大変素晴らしいが、日常の教育実践をするにはまだまだ程遠いと捉えられたと推測しました。先生は、アメリカから日本に帰国され、数度のワークショップ、ブラウン教授を招いての国際合流教育研究学会を開催されましたが、その時は、心は、ドイツのシュタイナー教育へと方向転換の準備をされていたと思います。教授を目の前にしての山口大学の退職。そして、横浜国立大学で講師そして退職。その後、合流教育とシュタイナー教育を基盤とした、先生オリジナルの百芳教育へと向かわれていかれました。