峰畑風景図
作詞・曲 宮村 克彦
1 カラス瓜枝に一つ 晩秋を 縁取る
一人の古老 山仕事 夕陽浴び家路に
大地に生まれ 大地に育ち 大地を愛し 大地に還っていく
自然に生まれ 自然に育ち 自然に囲まれ 自然に認められて
来年はなくなる 小さな学校には たった一人の 子どもだけ
また一つ灯りが消えて 自然に還っていくと
ため息を ついてた
〈 間奏 〉
2 雲海に心奪われ 別世界 霧の中
故きをたずね 新しきを知る 峰畑から臨めば
山の狭間 わさび作り 畑に鍬うつ 老婆が一人だけ
曲がった腰 伸ばせば 今までの 長い人生の足跡が見える
風はサラサラ 水は冷たく 空気膚刺し 針葉樹は迫って
一息つき 汗を拭って 空を見渡せば
鳥が 鳥が 鳴いていた
〈 エンディング 〉
(解説)
山口県周南市の最北部に峰畑があります。そこにある峰畑分校(現在休校)は、標高430m近い山の山頂にあり、眼下は錦町につながっています。当時、徳山市立須磨小学校の分校でした。本校から分校へは、車で15分かかります。その内10分は細くて険しい山道を車で上ります。初めて峰畑に行った時は、車の運転をびびってしまいます。険しい山道なので、一歩間違えば谷底に落ちそうにな気分になります。かつて、日刊周南の記者と話したことがありますが、「すごいところだ。山口県にもこんなところがあるのか。」と言ってました。当時、峰畑は、6件の民家でお年寄りを中心とした21名の人達が暮らしていました。週1度訪れる、車の移動店での購入以外は、自給自足でした。仕事は、山から流れ出るきれいな水を利用したワサビ作りや林業を基本としていました。秋には、雲海が臨むことが出来、自然の壮大さを感動的に体験することが出来ます。又、当時の葬式は土葬で原始的だなとびっくりした記憶があります。しかし、この地に住む人達はこよなく峰畑を大切にしていました。この峰畑地区にも学校(分校)があり、私は、峰畑分校で1年間勤めました。そして、昭和59年3月徳山市立須磨小学校峰畑分校は休校をむかえ、その後ずっと休校が今日まで続いています。当時、私は、分校で一人子どもの担任でした。その子とは、毎年年賀状交わしています。彼女は高校卒業時、大店舗のスーパーマーケットに勤めていましが、今は、介護福祉士をしながら二人のお子さんのお母さんです。当時その子と1年間分校で毎日を過ごし、峰畑の人々や風景を見つめながら30年前に「峰畑風景図」を作りました。峰畑分校を去る時(分校が休校になるため)この曲を峰畑地区の皆さんにカセットテープに録音して差し上げました。
私は、徳山市立須磨小学校峰畑分校、美和町立長谷小学校、岩国市立波野小学校、下松市立江の浦小学校で教師として学校の休校、廃校を見てきました。そして、学校が消えていくことの複雑な多くの感情体験をしてきました。休校・統廃合においては、地域の実態に応じて賛否両論のドラマが必ず起こります。教育にとって、統廃合が良かったのか悪かったのか今もって分かりません。しかし、4校の休校・統廃合を経験して、一つだけ確かなことを知っています。それは、休校・統廃合当時の子ども達は、その後の人生においても学校が無くなって欲しくなかったという感情を持ち合わせ続けることです。統廃合時、小さな子ども達は無力です。何も言いませんが、成長するにつれて母校への思いが持続し続けます。子どもが1人でもいる限り学校は守られるべきだと思います。それが、人間としての誇りだと考えます。子どもが一人もいなくなった時に、学校は、休校や統廃合になる運命にあると考えるようになってきました。
今回、30年前作ったメロディー・詩はそのままでアレンジを仕直しました。テンポが4分音符90から180そして、90へと変化を繰り返すのでギター演奏とミュージックソフトの設定に苦労をしました。何回レコーディングをしてもアタックを揃えることが出来ずグルーブ感(ノリ)を出すことに困難を極めました。高度な速弾きだけでなくスローテンポのメロディー弾きにもテクニックを要しました。歌は、テンポアップからたたみ込むように歌うので息継ぎがとても難しかったです。又、自然の雰囲気を出すためにソフトシンセサイザーの擬音も使っていますがどうでしょうか。私は、苦労とは逆に、収録を終えて、少し、充足感も覚えました。
では、まだまだ未熟な演奏ですが、自然に限りなく近い峰畑の風景を想像しながら、お聴きお楽しみください。