愛よ永遠に

2019年1月27日

作詞曲 宮村 克彦

1 時間が止まったように 僕は夜の浜辺で一人でぼんやりたたずんでいた
  故郷では漁船の灯りが点いては消え、遙か遠くに街の灯りがちらつく
夜空見上げれば きらめく星が「お前らしく生き抜け」とささやきかけてきた 
恋で激しく燃える心と重なる 赤く輝くオリオン座のあのベテルギウス
潮風に吹かれながら  広い海、今も拡がる宇宙(そら)に包まれ
長いのか短い人生 命燃やして 力の限り自分を確かめようと願っていた

2 先祖や家族・友達・人との関わり 21世紀どうしてここに居るのだろう
地球の歴史 社会 日本 世界で悲しい出来事が絶えることなく続いてる
時代重ね科学が進み便利になっても 僕たち幸せの想いは深くない
自分の幸せだけでは寂しすぎて 多くの手で支え合い泣き笑いしよう
前向いて 今を生き 君愛し 強く抱きしめよう
夢破れ 夢かなっても 星はめぐり巡って 人のために尽くたいと願っていた

(間奏)

 時空越え 今日ベテルギウス燃え尽き 真実届く時 君と僕は地上もうにいない
人智越えて 愛は幻か 森羅万象 諸行無常 神仏と共に時は移ろいでゆく
なつかしい 君こそ命 手を離さず 一緒に歩こう 
幾千年後 奇跡は巡り来る きっと又君に出会っている心から信じていた

(解説)
 宗教的な曲としてビートルズの名曲「Let it be」の詞は、悩み苦難に出会った時、マリア様が登場してなすがままにとお告げをします。ビートルズの場合は、キリスト教の立場で詞が書かれています。日本では、「千の風になって」が多くの人々に感動を与えました。ビートルズを真似した訳ではないのですが、今回の「愛よ永遠に」は、仏教的なニュアンスを含んだラブソングにして詞を書きました。場面は、私が少年時代に育った大島の美しかった夜の海・宇宙(そら)を設定しました。一見華やかで競争・格差社会の中、人生を生きていくことの願いや愛する人への想いへの祈りをテーマとしています。
 仏教では、悟りを開いた世界と輪廻転生をする二つの世界観で宗教が構成されています。通常、私達人間は、煩悩を克服して悟りを開くことが出来ません。と言うことは、永遠に輪廻転生を繰り返すことになります。一説では、早い人で、死後300年経つと輪廻転生を始めると述べる人もいます。世界的には、チベット仏教のダライラマが有名なところですが、この作品では、幾千年後に、又、なつかしい君と出会う設定で永遠に愛は続いていく内容にしています。
 私は、毎日10分~15分程度、仏教を中心にして世界の宗教について勉強をしています。宗教を信じるか信じないか個人よって異なりますが、私は、畏敬の心で宗教心を持っています。宗教心一辺倒で日常生活を過ごすカルト集団ではなく、現実生活は、通常に生きていく一市民でありたいと思っています。現実に根ざしてより良く生きていくことが、人間に与えられた使命だと考えています。仏教では、現世の生き様が来世の自分の姿を決定すると言われてますが、そうであってもなくても、人間としてより良く生きていきたいところです。
 視点は変わりますが、物理学ではビッグバンで宇宙が誕生して以来、宇宙は今も拡がり続けていると言います。そして、100万年以内にベテルギウスは、大爆発を起こして星としての死を向かえると言われています。オリオン座のベテルギウスは、もう爆発を起こしていると推測している人もいますが、ベテルギウスの光が地球に届くのは、640年先の未来です。もし、たった今爆発をしても、私達の目でみることが出来るのは、西暦2655年と言うことになります。爆発したベテルギウスは、その後、宇宙で塵のもずくとなり、長い時間をかけて、また、新しい星へと誕生していくと言われてます。このことは、仏教の世界観で言われている輪廻転生も通ずるものがあると考えてしまいます。光を通しての届くベテルギウスの実際と遠く離れて生きている私達が見ている姿には、タイムロスがあります。自然・宇宙への畏敬の念を持たずにはおれません。そこに、神や仏への祈りの心が生まれてきます。壮大な宇宙を見て、世界の古の人々は、直感的に神・仏の存在を感じてきたものと思われます。
 バッキング演奏は、ギターで詞の内容が伝わりやすいように努めましたが、私に感覚の癖が前面に出た演奏になっています。演奏テクニックは、限界があるのでその点は許してもらいたいと思っています。ヴォーカルについては、一拍の中に歌詞を詰め込んで歌うことにチャレンジをしました。息つぎ・舌を速く動かしながら歌わないと歌詞がはっきりとしなくなるので難しいと感じました。
 仏教と言えば抹香くさくて違和感を覚える方もおられるかとは思いますが、感じ方は自由です。では、仏教の世界観に根ざした「愛よ永遠に」をお楽しみください。