祈り おいでませ 須万の里

作曲 宮村克彦

おいでませ 須万の里
作詞 五郎丸 裕子(当時 須磨小5年)
補作詞 益本 法英
作 曲 宮村 克彦
1 雪解け雫が春を告げ  光に染まる金峰山
わらびや土筆も芽吹く頃  おいでませ須万の里2 きれいな水に誘われて  ホタル飛び交う錦川
手に手に団扇夕涼み おいでませ須万の里3 青空高く晴れわたり  稲穂のそよぎもたおやかに
甘い香りの梨畑 おいでませ須万の里4 水面にさ霧立ちこめて  杉森飾る霧氷花
いにしえ誘う雪絵巻   おいでませ須万の里
おいでませ須万の里

 「おいでませ 須万の里」は、30年前に生まれた曲で、子どもの詞を先生が補作して生まれた曲で、当時、須金の有線放送で地域に流されていた曲です。
しかし、上記の原詩では現在は歌うにはあまりにも時代・自然が変わってしまいました。私には、昭和の良き時代の作品となってしまいました。詞は須金の春夏秋冬を歌っていますが、わずか30年の間に少しずつ壊れていっている自然の様相があります。地球の長い歴史の中で、一世代の人間が感じることが出来る急激な自然の変化が起きつつあります。おそらく、人類史上初めての経験だと思われます。環境問題から生じていると思われる近年のゲリラ豪雨は、身近に感じられる最たるものでしょう。私が高校生の頃、フィリピン等の熱帯・亜熱帯地方では、スコールがあると地理で学んだことがあります。まさしく、スコールが場所を変え、日本でも日常茶飯事に起きるようになってきました。「おいでませ 須万の里」の詞が生まれた時は、現在のようなことはありませんでした。須金では、冬には子ども達がかまくらを作っていました。山口県北部の羅漢山は、冬はスキー場でした。それも消えてしまいました。4番の歌詞の中に出てくる須金の冬の風景も消えてしまいました。日本の四季は、変化の様相状態にあります。

 環境問題では、解決の見込みのない未来に対して私達は、「将来は、どうなるのだろうか?」と言う漠然とした無意識レベルでの不安感を持つようになってきました。今の環境問題を解決してくれる、世界的で天才的な科学者・政治家の出現が望まれるところです。

 21世紀の今を生きている庶民の私達は、自分を信じ人と信頼をしていく豊かな愛を深めたいものです。これからの時代を生き抜く時、予期せぬ災害・諸問題で不安は増長されるかもしれませんが、自暴自棄にならず、希望を持って一度の人生を生き抜きましょう。そして、愛を育む中で、私達の中に宿っている魂を大切に磨いていきたいものです。

 この曲は舞台が須金ですが、地球がこれから、少しでも平穏であるようにとの祈りを込めてアレンジをしました。1・2番は昔と変わらない自然を。3番は、ワウワウ、心臓の音で、無意識的な不安感、壊れゆく・崩れゆく・変化をしている自然をメロディーで表現しています。4番は、祈りを込めていつまでも須金がそして、世界の自然が安定して欲しい願いを込めました。わずか16小節のメロディーの繰り返しですが、祈りにも似た願いを織り込みました。
では、ギターインストで「祈り おいでませ須万の里」をお楽しみください。